『誰のためのデザイン?』

1990年に出版され、デザインの名著として知られる本書。僕もずっと前から読もうと思いながら、ようやく読めました。よくあるデザイン本とは違って、認知心理学的な見地からデザインを読み解くようなアプローチがなされ、手に取る最初の敷居は若干高いような印象でした。実際、非常に論理的に書かれており、400ページを超えるボリュームも相まって、なかなか気軽に手を出せませんでした。とは言え、主立った主張が簡潔かつ明確なので読み進めて行くにつれてどんどん読みやすくなっていくように感じました。長い間貸してくれたzkさんに感謝。

Amazonの目次では章のタイトルしか紹介されていないので、詳細な目次を載せておきます。これだけでも、わりと本書の主張が見えてくるんじゃないかと。

第1章 毎日使う道具の精神病理学

  • これを理解するには工学士の資格が必要です
  • 毎日の生活の中の不満
  • 毎日使う道具の心理学
  • 理解しやすさと使いやすさのためのデザインの原則
  • あわれなデザイナー
  • 技術の逆説

第2章 日常場面における行為の心理学

  • 自分を責めてしまうという誤り
  • 毎日の生活の中の思い違い
  • 間違ったことのせいにしてしまう
  • 人間の思考と説明の性質
  • 人はどのように作業をするか − 行為の七段階論理
  • 実行と評価におけるへだたり

第3章 頭の中の知識と外界にある知識

  • 不正確な知識にもとづく正確な行動
  • 記憶は頭の中の知識である
  • 記憶は外界にある知識でもある
  • 外界の知識と頭の中の知識の間のトレードオフ

第4章 何をするかを知る

  • 日常場面に存在する制約の分類
  • 日常場面の事物にアフォーダンスと制約を適用してみる
  • 可視性とフィードバック

第5章 誤るは人の常

  • スリップ
  • 思考のエラーとしてのミステーク
  • 作業の構造
  • 意識的な行動と意識的でない行動
  • エラーに備えてデザインする
  • デザインの基本的な考え方

第6章 デザインという困難な課題

  • デザインの自然な進化
  • なぜデザイナーは正しい道からはずれてしまうのか
  • デザインのプロセスの複雑さ
  • 蛇口 − デザインの難しさを示すケースヒストリー
  • デザイナーを脅かす二つの致命的な誘惑
  • コンピュータシステムの弱点

第7章 ユーザ中心のデザイン

  • 難しい作業を単純なものにするための七つの原則
  • わざと使いにくくする
  • デザインと社会
  • 毎日の道具のデザイン

全編を通じて著者が強く訴えかけているのは、操作ミスに代表されるヒューマンエラーはそのミスを犯した人の責任ではなく、そのようなミスを誘発したデザインの責任だということ。航空機や原発、ロンドン株式市場といった具体的なシチュエーションで、デザインが果たすべき社会的責任について述べています。そうしたクリティカルな事故では、ミスをした人が罪に問われるが、本書ではそのミスを引き起こしたデザインこそが悪であると断じています。

なんらかのエラーが起こりうる場面では、だれかがそのエラーを引き起こすだろう。デザイナーは、、起こりうるエラーが実際に起こることを想定した上で、そのエラーがおこる確率と、エラーが起こったときの影響が最小になるようにデザインしなければならない。エラーは見つけ出しやすくなければならないし、その結果生じる損害は最小でなくてはならない。できれば元に戻せるようにすべきだろう。

ミスが起こらないように、システムの状態を正しくユーザーに認識させる。あるいはミスが起こせないように適切な制約を課すことがデザインの役目だというのが本書の主張です。

今まで「デザインとは何か?」という問いに対して「意図を伝えるもの」という認識でいたのですが、制約の設定という視点は欠けていました。デザインというものは目的があって、それを伝える、あるいはそこへ導く導線を示すことだと思っていました。もちろん、「選択不可能な行為」を容易に識別できるようにするということも頭にはあったのですが、こうして明確な「デザイン」の定義に含めてしまう方が適切なのかも知れません。

本書には様々なデザインの問題が具体例を伴って紹介されていますが、繰り返し語られるのは

  • 現在の状態を可視化し
  • ユーザーに正しいシステムイメージを認識させ
  • エラーを引き起こさない制約を課し
  • 適切なフィードバックを返すこと

という著者のデザインに対する思いです。

本書で「制約のデザイン」として語られていることは、現在の日本を代表するデザイナー深澤直人氏の「無意識のデザイン」に通ずるものがあるように感じました(もちろん氏もこの本を読んでいるとは思いますが)。人の無意識を誘導することが心地よいデザインにつながる、という思想はずっと自分の頭に刻まれていたので、全編を通してとてもすんなりと頭に入って来ました。

この本が世に出たのは1990年。もう20年近くも前のことです。本書ではコンピュータのソフトウェアに対する問題提起も多々されているのですが、テクノロジーの進歩により解決された問題も多く、20年という歳月の長さを感じる部分も少なくありません。特に、インターネット(ブロードバンドと検索技術)や携帯電話といった今では当たり前になってしまったテクノロジーがいかにエポックメイキングな物であるかを強く認識させられます。

逆に、20年経っても一向に改善されていないものも多く、まだまだデザインに課せられたミッションは山のようにあることも思い知らされます。デザインに携わる全ての人は、小手先のテクニック集よりも本書を優先して読んで欲しいですね。自分が後回しにしてしまっただけに、尚更そう思います。

また、本書のデザインに対する信念はグラフィックやUIのデザインに限らず、ソフトウェアの開発に於いてもそのまま当てはまります。フレームワークによる開発などは、プログラマがヒューマンエラーを起こさないための制約であるし、その設計そのものがデザインです。近頃盛んに言われるソフトウェアのデザイン思想が、20年も前の本で語られているというのは見逃せないことだと思います。

本書の一節で、製品をデザインする際のアプローチとして提案されているのが「マニュアルを先に作り、それを実現する製品を開発する」という「マニュアルドリブン」とも言うべき手法です。著者曰く、マニュアルは製品にとって必要不可欠なものであるにも関わらず、時間やコストの都合でないがしろにされることが非常に多い。であれば、最初にマニュアルを作って、そこに合わせて物を作ればよいと。マニュアルにない機能は実装しないというルールが徹底できれば、非常に有効なアプローチのように思われました。

キングファイルに綴じられるような仕様書とか詳細設計書なんて、ソフトが動く上で本来は必要のない物だと思うんですよね。本当のことが書かれているとも限らないし、それを作るのにかかる時間的・金銭的コストも大きいし。ちゃんと作られたマニュアルと、内部仕様に関する簡単なメモやソース中のコメントを以てドキュメントとするというのはやってみたいですね。

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)