「デザインのデザイン」

デザインのデザイン
以前から読まなくてはと思いつつ、機を逃していた本ですが、この度ようやく読み終えました。著者の原研哉氏は無印良品や銀座松屋長野オリンピック開会式のパンフレットなどをはじめ、様々なデザインを生み出している、まさに日本を代表するデザイナーです。

彼の仕事で個人的に最も印象に残っているのは、無印良品のポスター(2003) 。当時はデザインというものに対する意識が低かったこともあり、それが誰の手掛けたものであるかは知らなかったのですが、そのビジュアルに圧倒されたことは強烈に記憶しています。それと同時に「何で無印がこんなものを」という印象も抱きましたが。google:無印 地平線ググるといろいろ出てきておもしろい。

本書では、産業革命の後に生まれた「デザイン」という概念の発生から今日までの歩みを、氏の経験を交えて見ています。デザインとは何なのか、デザイナーとは何なのか。あらためて考えさせられる一冊です。

実際にグラフィックデザインの第一線で活躍する氏の著作だけあって、難しいことばかり書いてある観念的な本ではありません。

「着眼大局着手小局」という言葉をときどき反芻している。現在という場所から半歩先の近未来を見るのではなく、過去から現在、そして少し遠い未来を見通すような視点に立ちたい。未来が存在すると同時に莫大な文化的蓄積が過去にはあり、自分にとってはそれも未知なる資源である。しかしそういうヴィジョンを持ったとしても、実際に今自分がやるべきことは、明日のプレゼンテーションを成功させることだったり、そのために企画書を整理することだったり、さらには、それを気分よく行うために、机のまわりを片付けることだったり、究極は汚れたコーヒーカップを洗うことだったりするのだ。人ひとりの営みとは所詮そんなものだが、そういう小さなことを積み重ねながらも納得できる場所に行き着くためには、そこへ自分をナヴィゲートしていく誘導装置を自身の意識に装着しておかなくてはならない。

といった一節もあり、ふっと安心するとともに、その中で遠くを見据える姿勢には励まされます。日々の業務をこなす上では、デザインについて真摯に向き合うことができないことも日常茶飯事ですが、そんな状況下でも大切なものを見失わずに仕事をしたいと思います。

文中には、「日常は美意識を育てる苗床である。」という一文があります。

日常は美意識を育てる苗床である。先にクルマや住空間の話を引き合いに出したが、たとえばコンビニエンスストアで販売されているようなもの一つひとつに実はエデュケーショナルな効果があって、僕らは毎日これらのものを通して教育されている。

Webのデザインというのはまだまだ未成熟な分野です。3年ほど前の雑誌を紐解いてみれば、懐かしさ漂う、今では笑えるデザインの数々に出会えます。確かにテクノロジーの進化は目覚ましく、新しい技術は瞬く間に広まり定着していきます。しかし、デザインはWebのテクノロジーが新しく生み出したものではなく、過去の膨大な蓄積の上に成り立つものです。ネットの「あちら側」ばかりではなく、外の世界や過去の財産に積極的に目を向けることがデザインに携わる者にとって欠かせないことでしょう。

日頃から、ものを作る人間は、まず「ものを見る目」が育ち、ものを見ることで「考える頭」が「作る手」を動かすというサイクルで育つと考えています。そして、作り終えた頃にはさらに向上した目が自分の作り上げたものに満足しなくなる、というサイクルで今までやってきました。NHKの番組に「美の壺」という番組にて、魯山人が紹介されていました。魯山人は過去の名品に学ぶことを「目養い」と称していたと言います。今、この言葉が強く心に残っています。