Twitterに感じる懐かしさ

巷でナウなヤングにバカウケTwitter。既に「What are you doing?」なんて誰も気にしてないTwitter。始めてこのサービスに触れた時、心によぎったのは「懐かしい」という感情でした。

今から10年以上前のパソコン通信時代、普段通っていた草の根BBSには、ホストから切断する時に「書き逃げメッセージ」みたいな名前の一行メッセージを残していく機能がついていました(KTだったかNetCockだったか忘れたけど、確か改造版)。これは特定の誰かに向けてというわけでもなく、正規の書き込みでもない、「何となく投げる一言」でした。足繁く通って居る人(当時は「アクティブ」なんて言ってましたね)同士はその内容もよく見ていたので、メールを投げるほどでもない要件をそこに書いてしまう、なんてこともありました。Twitterはこの書き逃げメッセージに非常に近いような気がしています。

パソコン通信草の根BBS)というのは、今のインターネットのように皆が同じネットワークにアクセスしているのではなく、入会申請した会員だけがアクセスできる、言ってみれば「閉じた」ネットワークでした。Twitterの「add」というアクションは、実際には特定の個人を自分のリストに加える行為ですが、感覚的にはその人だけに限らずその人と周りの人でやりとりされている情報に触れるというイメージがあります。一人をaddして、芋づる式にその周辺の人々をaddしていく行為は「その人らへん」のネットワークに接続するという印象があります。そう考えると草の根BBSへの会員登録と大差ない、とも言えるかもしれません。

もちろん、今では当たり前なネットワークへの常時接続なんて冗談じゃなかったし、IMから投稿したりAPIを使っていろいろな拡張ができる、なんてことはありませんでした。しかし、本質的な「自分が何気なく残した一言を誰かに見て欲しい」「適度な距離感で軽いコミュニケーションがしたい」という欲求をかなえるツールとしては決して遠いものではないように思います。

ともすれば懐古主義的になりがちですが、こういった目で今のサービスを見てみるのもなかなか面白いものです。

例えば、mixiを初めて見た時は「草の根BBSと同じじゃね?」と思いました。日記という各人のページがあるというのは大きな違いですが、

  • アクセスするのにアカウントが必要
  • 誰がいつアクセスしたかが見える
  • 話題毎にボード(コミュニティ)が用意されている

といったあたりはよく似ています。何より、インターネットというオープンな世界で一度は失ったはずの「個のID」を再び取り戻した、言い換えれば「開いたものをまた閉じた」というところが非常に草の根的だと感じました。インターネットでは「自分」の存在をアピールする手段としてサイトを作ることが流行していましたが、mixiは自分の存在を自分だけではなく「自分と関係のある人」を一括りにすることでより自己を明確にしたように思います。

RSSリーダーもCNやCMといったオフラインログリーダー(オフリ)の血を引いているような気がしてなりません。インターネット黎明期に「デザインも構成も自分の思い通り。こんなのパソ通じゃできない!」ともてはやされた「ホームページ」達は、今はブログという一定のフォーマットに沿うことが多くなり、更にはRSSリーダーで完全に同一のフォーマットとインタフェースで読まれるようになってきました。RSSリーダーでfeedを流していく感覚は、オフリでBSSのログを流していた頃と非常によく似ています。

他にも、SecondLifeなんて誰が見ても「3Dハビタット」ですね。

今のネットの面白いところは、過去に様々な経緯を経てきたこういったサービス形態が入り乱れて共存しているところだと思います。はてな界隈なんかだと、RSSリーダーソーシャルブックマークといったツールが標準的ですが、少し毛色の違うところを覗いてみれば、数年前のまま変わらないWebの世界があります。ツールは常に進化を続けますが、その根っこの部分ではオープンになったりクローズになったり、同じ所をグルグルと回っているような気もしなくもない。螺旋状に進化するサービスの中で、どの地点にも人がいるような印象を受けます。

「いろいろ進化したけど、結局のところやってることはあんまり変わらんよね」という感覚は自分では悪くないものだと思っています。今から見れば当時のサービスは制約だらけですが、その制約が「心地よい縛り」になっていたのかも知れません。ウケるサービスの条件とは、全く新しい物を創り出すこともあるとは思いますが、「もう皆が知っていること」を「うまく閉じる」という要素もあるんじゃないか。と、年寄り臭くとりとめもなく思ってみました。