牛後となるとも、鶏口となるなかれ
元々は「鶏の頭(小国の王)になっても、牛の尻(大国の家臣)にはなるな」という教えですが、ことITエンジニアという職に関しては「牛後となるとも、鶏口となるなかれ」であると思います。
頭になっても鶏は鶏
鶏と牛では必要とされる技術のレベルが違います。鶏の世界では「とりあえず動けばいいよ。後は安くしてくれ」みたいな話が多く、そういう仕事を数こなすことが求められるのでいつも同じようなことをしています。新しいことを身に付けても、より深い知識を身に付けても実践する機会がないので経験が積めません。鶏口では所詮、鶏レベルのことしかできないのです。
受託案件で細々食ってる鶏の場合、クライアントの要求レベルやそもそもクライアントのITリテラシが低いので、それほど難しいことは求められません。それよりも、社長のPCの面倒を見たり、社長宅のプリンタの配線をするスキルの方が求められることさえあります。他には「パソコンの操作を電話で教える技術」も欠かせません。
牛の方がすごいスピードで走る
鶏の世界はWebの進化から一歩も二歩も遅れて進みます。その差は縮まるどころか、年々広がっているように見えます。鶏にとっては本の中でしか見ることのない世界も、牛にとっては当たり前の日常だったりします。しかも、牛の世界は日々すごいスピードで進化しています。そのスピード感たるや、牛というよりむしろ馬です。鶏口は自分が頭なのでのほほんとしていてもそれなりに生きていけますが、牛後でいるためには牛のペースについて行かなくてはいけません。
エンジニアという職業に限れば、鶏口でいることよりも牛後でいることの方がより努力を求められると思います。
井の中の鶏
自分が鶏の頭になってしまえば、周りは自分より下ばかりです。社内的にも「凄腕プログラマ」なんて呼ばれたりして、いい気持ちにもなれるでしょう。でも結局それは周りのレベルが低いだけの話です。少し外を見れば牛たちがすごいスピードで走っています。この業界、下を見ればキリがないので鶏でも細々と食っていくことはできますが、それでは技術レベルが上がるはずもありません。
頭では分かっていても、鶏の世界にいるとどうしても鶏の価値観に引きずられてしまいます。もっとレベルを引き上げようと思っても、鶏の足はとてもとても重いです。
牛後は牛頭を狙える
例え一番後ろでも、牛後は牛の一部です。ちゃんと目を見開いていれば、牛の一挙手一投足を間近に見ることができます。牛をよく知り、力を付けていくことでいずれは牛頭になれるかも知れません。あくまで個人的な感覚ですが「鶏口→牛頭」はつながらないけど、「牛後→牛頭」はつながると思います。鶏として努力してもいつかは牛頭になれるかも知れませんが、上を狙う環境としては牛後の方が圧倒的に恵まれていると思います。
自分自身が何年もの間、鶏として生きてきた(そして今は曲がりなりにも牛の尻になれた)経験からはこのように感じます。もちろん、これが正しいと言うつもりもありませんし、若干挑発的に感じられるかも知れません。そもそも鶏とか牛なんて人それぞれの考え方次第というのも確かです。が、これが偽りなしの自分の実感です。
最後の例えで言えば、ITエンジニアのキャリアは「鶏口→牛後→牛頭」というステップだと思います。鶏から牛へ飛び移り、牛の世界で力を付け、いずれは牛頭となる… それに、牛頭となった頃には、牛だと思っていた身体が鶏に感じられるかも知れません。そうなれば、また次の牛へと挑戦すればいいのです。閉じた世界で狭苦しさを感じるよりも、広い世界に飛び出す方が得るものはきっと多いはずです。もちろん、それがいい結果をもたらすかどうかは保証できませんが。でもエンジニアとして生きていくからには、そういう挑戦する姿勢は忘れたくないですね。