受託会社がサービスを作れない理由

自分も今まで受託の会社を渡り歩いてきましたが、受託ばっかりやってる土壌でサービスを開発することは非常に難しいと思います。

1.受託開発では「技術」が蓄積しない

技術が蓄積するかどうかは案件とそこに対する姿勢次第だと思うけど、他は概ね同意。恐らくここで言われている「受託開発」というのは、今まで自分が見てきたベンチャー的な市場というよりも、SIerに組み敷かれた世界でのことのようにも感じます。

実際の開発における障害は、F's Garageさんが「正にその通り」ということを書かれています。

自分の経験では、これに加えて「エンドユーザーを顧みない、悪しき下請け根性」がサービス開発の大きな阻害要因としてあるように思われます。受託の下請けを続けていると、クライアントに言われたことはやる、から転じて「言われたこと以外はやらない」となってしまう開発者がいます。劣悪な労働環境、理不尽な要求に耐え続けた末に身につけた自己防衛手段なのでしょうか。そんな中で何年も仕事を続けた開発者は、クライアントの向こうに実際にサイトを訪れるエンドユーザーがいることを忘れてしまいます。1年も経てば環境が激変するWebサービスの市場に比べて、そうした「悲惨な」受託の環境では時間の流れも遅く、Webという物に対する認識自体がズレてしまいかねません。企業のオジサン達のためのシステムを作り続けた開発者が、今時の市場で受け入れられるサービスを作るのはとても難しいでしょう。

また、そんな環境に耐え続けた開発者はともすると「自社サービス開発 = 自分が好きに作っていい」と考えてしまいます。受託開発ではうるさいクライアントがいつも要求という名の命令を投げてよこしますが、サービスのユーザーから寄せられる声には強制力はありませんし、何も言わずに去って行くユーザーが大多数です。「そんな物いちいち聞いてられるか」と自分の趣味にひた走っても、誰も止める人はいません。社内で誰か止めてくれればいいですが、社内で力を持った人や、小さな会社では開発が出来る人間がそもそも一人しかいないケースもあります。長年、下請けの狭い世界で生きてきた開発者が自分の趣味で突っ走る… これで受けるサービスが作れたら、その人は本当に天才でしょう。

では、受託開発は悪なのか? 僕はそうは思いません。受託開発も満足に出来ない会社がサービスを立ち上げて成功するとは考えにくいです(「出来るけどやらない」は何も問題ありません)作り捨てではなく、実際にそのシステムを使うユーザーと密な関係を築いて、それなりの時間をかけてシステムを育てていくような案件はとても勉強になります。良質な受託案件は、不特定多数に公開するサービスよりもフィードバックを得やすく、独りよがりにならずに済むこともあり、サービス開発を志す人にも非常にいい経験になるはずです。会社的にも、公開できる実績があればサービスをリリースした時点での信頼もある程度は得やすいでしょう。

受託開発をこなす上で、自分が心掛けたいなと思っているのはこんなところでしょうか。

  • お金をくれる人やうるさいお偉方よりも、そのシステムを使う人を喜ばせるよう心掛ける
  • 言われた通りに作るだけでなく、改善点などを逆提案する
  • 不条理な周囲に染まらず、Web全体に目を向ける
  • そもそもそんな不条理な案件は受けない。受ける会社には行かない

個人的には、受託開発もサービス開発も「最終的にそこに触れるのは一人の人間である」ということから、それほど区別しては考えていません。仕事の形態やお金の流れは違いますが、物を作る観点においてはあまり意識しない方がかえっていいんじゃないかと思います。